8月15日、月桃の花と父の記憶―八幡大空襲からつながった命―

今年の7月も、我が家の月桃が花を咲かせました。
白いつぼみに、ほんのりとしたピンク色。
月桃を見ると、私はいつも沖縄を思い出します。
沖縄戦では、多くの住民が犠牲になりました。
そして久米島でオジーの話を聞き、戦争の中では、
日本軍によって命を奪われた沖縄の住民もいたことを知りました。
「戦争」というものは、敵と味方という単純な言葉だけでは語れない。
人を追い詰め、ときには同じ国に生きる人同士まで傷つけてしまうものなのだと感じました。
そして今日、8月15日。
終戦の日を迎えました。
私は父のことも思い出しています。
父が経験した八幡大空襲
私の父は十数年前に70歳で亡くなりました。
その父は、子どもの頃に八幡大空襲を経験しています。
1945年8月8日。
終戦の、わずか一週間前のことです。
八幡の中心部は大規模な空襲を受け、多くの人が亡くなり、傷つき、家を失いました。
当時まだ幼かった父はただ「花火のように落ちてきた」と語ることがありました。
徳養寺の近くに住んでいた父も、その空襲の中を生きた一人でした。
そして、その翌日。
1945年8月9日。
長崎に原子爆弾が投下されました。
でも、長崎は最初の投下目標ではありませんでした。
第一目標は、当時の小倉市。
現在の北九州市です。
原爆を搭載したB29は、小倉上空まで来ていました。
ところが、小倉上空は雲や煙などで視界が悪く、目標地点を目視することができませんでした。
前日に起きた八幡大空襲の煙も、その一因だったといわれています。
そのため、小倉への投下を断念し、第二目標だった長崎へ向かったのです。
そして午前11時2分。
長崎に原爆が投下されました。
もし、小倉に落とされていたら
大人になってこの歴史を知ったとき、私は考えずにはいられませんでした。
もし、あの日。
小倉の空が晴れていたら。
もし、原爆が小倉に投下されていたら。
父の人生はどうなっていたのだろう。
もちろん、歴史に「もしも」はありません。
そして、長崎では本当に多くの方々の命と、その後の人生が奪われました。
決して「小倉に落ちなくてよかった」という話ではありません。
どこにも、落ちてよかった場所などありません。
ただ、私自身のいのちについて考えたとき、どうしても思うのです。
父が戦争を生き延びていなかったら、私は生まれていません。
私が生まれていなかったら、息子も生まれていません。
今、私がここにいること。
息子がここにいること。
それは決して「当たり前」ではないのだと。
父から私へ、私から息子へ
私たちは普段、
「生きている」ということを、それほど意識しません。
朝起きて、
ご飯を食べて、
仕事をして、
子どもと話して、
時にはけんかをして、
笑って、
眠る。
そんな毎日を当たり前のように過ごしています。
でも、父の経験した戦争を考えると、
その「当たり前」が、突然なくなってしまう時代があったのです。
父が生きた。
そして、私が生まれた。
私が生きて、息子が生まれた。
いのちは、そうやってつながってきました。
だから私は、
「今、生きられている」
そのことに感謝して過ごしたいと思っています。
そして、この想いを伝えていきたいと思っています
戦争にも、たくさんのグリーフがある
グリーフというと、大切な人を亡くした悲しみを思い浮かべる方が多いと思います。
けれど、戦争によって失われるものは、命だけではありません。
家。
故郷。
家族と過ごすはずだった時間。
安心して眠れる夜。
子どもらしく過ごせる日々。
それまで当たり前だった暮らし。
そして、
「明日も今日と同じようにやってくる」
という安心さえも失われます。
戦争が終わったからといって、人の中に残った恐怖や悲しみまで、その日に終わるわけではありません。
父たちの世代は、それぞれのグリーフを抱えながら、その後の人生を生きてきたのかもしれません。
グリーフケアに関わるようになった今、私はそんなことも考えるようになりました。
そしてもうひとつ、考えるようになったことがあります。
戦争を体験した方々が、その体験を必ずしも語ってこなかったことです。
満州に行った親戚のおじさんも、そこで経験したことを、
自分の子どもにはずっと話していないと聞いています。
話さないのではなく、話せない。
あるいは、思い出したくない。
それほどつらい出来事があったのかもしれません。
もちろん、本当のところは本人にしかわかりません。
話すことだけが、グリーフケアではありません。
話したくないときには、話さなくてもいい。
誰かに話すことで心が少し軽くなる人もいれば、
まだ言葉にしたくない人もいます。
その人が話せるときまで待つこと。
話さないという選択も、そのまま受けとめること。
それもまた、グリーフに寄り添うことなのだと思います。
月桃を見ると思い出す久米島
月桃を見ると、今でもその時間を思い出します。
香りや植物は不思議です。
頭では忘れていたことまで、ふっと連れてきてくれることがあります。
今年、我が家で咲いた月桃。
「咲いた」
ただそれだけのことなのですが、
8月15日の今日、玄関を開け、月桃を見ていると、
命が続いていることのようにも感じます。
「普通の一日」を大切にしたい
戦争について考えることは、
過去だけを見ることではないと思っています。
「これから、どんな毎日を残していきたいのか」
を考えることでもあります。
朝起きられること。
ご飯を食べられること。
子どもが学校へ行けること。
好きなことができること。
誰かと笑えること。
庭に咲いた月桃を、ゆっくり眺められること。
そんな何でもない一日は、
本当はとても幸せな一日なのかもしれません。
父が生きてくれたから、今の私がいます。
そして今、息子がいます。
だから私は、
過去の悲しみだけを見るのではなく、
今ある命を大切にすることもまた、
平和を願うことのひとつだと思っています。
8月15日。
今年7月、我が家で咲いて楽しませてくれた月桃は、今、少しずつ種になりつつあります。
花が咲き、種を残し、また次へと命をつないでいく。
その姿を見ながら、亡くなられた多くの方々に想いを寄せ、そして、
「今、生きられている」ことに感謝して。


