記念日に、ふとよみがえる悲しみ ―「記念日反応」というグリーフ

記念日

先日、実家で弟の誕生日会をしました。

みんなで弟の誕生日をお祝いする、いつもの家族の時間。

でも私にとって、この日はもう一つの意味を持つ日でもあります。

流産した小さな命が、生まれてくる予定だった日。

妊娠して、出産予定日を教えてもらったとき、

「おじさんと同じ誕生日になるね」

と笑ったことを、今でも覚えています。

だから弟の誕生日が来ると、ときどき思い出します。

「生まれていたら……」

と。

不思議なもので、私の場合は、流産した日そのものよりも、こうして悲しみとつながった別の記念日の方が、ずっと心に残っています。

私自身の誕生日で思い出す人とは

そして、もう一つ。

自分の誕生日が来ると思い出す女性がいます。

当時70歳くらいだったでしょうか。

仲がよく、よく一緒にランチを食べに行っていた女性です。

私は、その方が亡くなっているところを発見した第一発見者でした。

警察の事情聴取を受けたとき、生年月日を聞かれました。

私が自分の生年月日を答えると、警察の方が、

「今日、誕生日だったんだね。つらかったね」

という言葉をかけてくださいました。

そうです。

その日は、私の誕生日でした。

異変に気づいて発見したことで、私はその後、多くの方から感謝されました。

でも、感謝されても、素直に「よかった」とは思えない。

とても複雑な気持ちでした。

今でも、形見分けとしていただいたものを生活の中で使っています。

だから、きっと私はこれからも彼女を忘れることはないでしょう。

そして、この出来事は、

「人はいつ、どうなるか分からない。だったら、好きなことをしよう」

と私が考えるようになった、きっかけの一つでもあります。

「記念日反応」という言葉を知りました

どうして、何年経っても特定の日になると、こんなふうに記憶や感情がよみがえるのだろう。

そう思って調べていて、

「記念日反応(アニバーサリー反応)」

という言葉を知りました。

大切な人との死別や大きな喪失を経験したあと、命日や誕生日、祝日など、その出来事と結びついた日が近づくことで、悲しみや不安などが再び強くなることがあります。

近年の研究でも、死別後の記念日反応は、命日だけではなく誕生日などの意味のある日に起こり、心理的な反応だけでなく、身体的な症状として現れる場合があることが報告されています。

例えば、

悲しくなる。
涙が出る。
イライラする。
不安になる。
なんとなく落ち着かない。

そして、

眠れない。
疲れやすい。
身体が重い。

そんな形で現れることもあります。

また、日付だけとは限りません。

季節、景色、匂い、音楽、場所。

「あの頃と同じ空気」を感じただけで、記憶が突然よみがえることもあります。

もしかすると、

「なんだか分からないけれど、今日は気持ちが沈む」

という日の背景にも、そんな記憶が隠れているのかもしれません。

何年経っても、思い出していい

記念日反応について、私が一番伝えたいと思ったのは、

何年経っても起こることがある

ということです。

「もう何年も経っているのに、どうしてこんなに悲しくなるんだろう」

「私はまだ立ち直れていないのかな」

そんなふうに思ってしまう方もいるかもしれません。

でも、記念日や思い出につながる出来事をきっかけに、何年も経ってから悲しみが再びよみがえることはあります。記念日反応そのものを、グリーフからの「後退」と考える必要はありません。

私は、グリーフというものは、

「忘れたら終わり」ではない

と思っています。

時間が経つにつれて、悲しみの形は変わります。

毎日のように泣いていた悲しみが、いつの間にか穏やかな思い出になっていたり。

普段は思い出さなくなっていたのに、ある日突然、胸がいっぱいになったり。

行ったり来たりしながら、その人なりの形になっていく。

それでいいのだと思います。

悲しみがよみがえった日は

もし、大切な記念日が近づいて、なんとなく心や身体がつらくなったら。

「まだこんなことで悲しんでいる」

と、自分を責めなくていいと思います。

今日は少しゆっくり過ごそう。

あの人の好きだったものを食べよう。

お墓参りへ行こう。

写真を見よう。

誰かに話してみよう。

反対に、

今日は思い出したくないから、いつも通りに過ごそう。

それでもいい。

記念日の過ごし方に「正解」はありません。

自分の心と身体が一番楽にいられる方法を選んでいいのだと思います。

悲しみの中には、その人との時間も残っている

弟の誕生日が来ると、小さな命を思い出す私。

自分の誕生日が来ると、あの日亡くなった女性を思い出す私。

どちらも、これから先もなくならない記憶だと思います。

でも、それでいい。

悲しい記憶だけではありません。

「おじさんと同じ誕生日になるね」

と笑った私も、そこにいます。

一緒にランチを食べて笑っていた彼女との時間も残っています。

そして彼女との別れから、

「いつどうなるか分からないのだから、好きなことをしよう」

と思った今の私もいます。

グリーフは、悲しみだけを運んでくるものではないのかもしれません。

その人との関係や、その人から受け取ったものを抱えながら、これからを生きていくことでもある。

だから、記念日にふと悲しくなったときには、

「まだ悲しんでいる」ではなく、
「今日、私は大切な人を思い出しているんだな」

と思ってみてもいいのかもしれません。

悲しみが残っているというより、

大切だった記憶が、今も私の中に残っている。

私は、そんなふうに受け止めています。

そして、その記憶とともに、

今日もまた、自分の人生を生きていこうと思います。