「相談してね」と言うだけでは届かない― 夏休みの終わりに考えること

もうすぐ、夏休みが終わります。
楽しかった夏休みが終わり、
「早く学校へ行きたい」
と思っている子どももいるでしょう。
でも、その一方で、
学校へ行きたくない。
会いたくない同級生がいる。
会いたくない先生がいる。
教室に入ることを考えただけで苦しくなる。
そんな子どもたちもいます。
長期休みが終わる時期は、子どもたちの自殺が増えることが知られています。
物質的には、とても豊かになった日本。
食べるものがある。
着るものがある。
学校へ通うこともできる。
それなのに、なぜ「生きること」が苦しくなるほど追い詰められてしまう子どもたちがいるのでしょう。
最近、私はそんなことを考えています。
物質的な豊かさだけでは、人の安心や居場所まではつくれないのではないか。
そして、そのことをどう社会に伝えていけばいいのだろう。
私自身の活動とも重なる、大きな課題だと思っています。
「相談してね」と言われても、相談できないの
「困ったときには相談してね」
私もよく使う言葉です。
でも、自分の人生を振り返ると、相談することって、そんなに簡単ではありませんでした。
私自身、離婚した元夫とのことを誰かに相談するまでには、かなりの時間がかかりました。
知られたくない。
心配をかけたくない。
情けない。
まだ私が頑張れば、なんとかなるかもしれない。
そんなことをずっと考えていました。
「そういうときこそ相談してほしい」
と言われても、最後に決めるのは自分です。
離婚するのか。
このまま生活するのか。
子どもはどうするのか。
家はどうするのか。
その「自分で決めなければならない」こと自体が苦しかったのです。
そんなある日、息子が一緒にいたママ友に、自分の気持ちをぽろっと話しました。
それをきっかけに、私の中にため込んでいたものも、ぽろぽろと出てきました。
一つ口にすると、次から次へと言葉が出てきたものでした。
これを読んでいる人も「なんで相談しなかったの」と思うでしょう。
でも、ほんと相談できないんですよ。
相談できない人の気持ちもよく分かります。
相談すると「答え」ではなく「情報」が入ってくる
相談したからといって、誰かが人生を決めてくれるわけではありません。
最終的に決断するのは、やっぱり自分です。
でも、相談したことで変わったことがあります。
「情報」が入ってくるようになったことです。
こんな相談先があるよ。
こんな制度があるよ。
こんな専門家がいるよ。
私も同じ経験をしたことがあるのよね。
私も離婚したいのよ。
私が離婚した時はこんな感じだったよと。
一人で検索しているだけでは、たどり着けなかった情報が、人と話すことで入ってきました。
検索だけでは時間がかかることもあります。
そして、人に話しているうちに、自分の頭の中が整理されることもありました。
電話口で泣いたこともあります。
対面で泣いたこともあります。
でも、泣いたあとは少しすっきりすることもありました。
私は講座の中で、ときどき、
話す=離す、放す
という言葉を使います。
アンガーマネジメントでも、グリーフケアでも同じです。
心の中に握りしめているものを、一度言葉にして外へ出してみる。
家族には言えないなら、まったく知らない相談窓口の人でいい。
少し「放す」ことで、見え方が変わることがあります。
後日息子から「お友達にも相談していた」こともわかりました。
友達からは警察へ行った方がいいよと言われたというので私はついに警察へ行きました。
そして、息子のためにと思って続けていた結婚生活をやめ、私は元旦那を手放しました。
「学校に行きたくない」と息子が言った日
実は私自身も、息子から
「学校に行きたくない」
と言われたことがあります。
昨年の春休み明けのことでした。
仲のよかった友達とクラスが離れ、少しへこんでいる様子はありました。
そして新学期3日目。
「学校に行きたくない」
と言ってきました。
よくよく話を聞いてみると、クラスは離れたものの、トイレで一緒になった子から、息子にとってとても嫌なことを言われたとのこと。
その後、別のところでも嫌なことがあったようでした。
以前からそのお子さんとはいろいろとあったので、さすがに今回は学校へ相談させていただきました。
相手のお子さんにも、もしかすると「一緒に遊びたい」「かまってほしい」など、その子なりの気持ちがあったのかもしれません。
ただ、それをうまく表現できなかった可能性もあります。
だからといって、うちの息子が完璧だったわけでもありません。
低学年の頃には、ありました、ありました(笑)。
一緒に遊びたい。
仲間に入りたい。
でも、その伝え方がうまくできない。
息子のことで学校の先生から電話がかかってきたことも、何度かあります。
私は、それも子どもの成長の途中なのだと思っています。
むしろ、小さいうちに分かってよかったと思うのです。
「これは相手が嫌なんだ」
「こういう伝え方ではいけないんだ」
と知ることができるからです。
年齢が上がれば、人間関係も複雑になり、見えにくくなっていきます。
だからこそ私は、息子には、
嫌なものは「嫌」と言える人になってほしい。
と思っています。
「嫌い」と言えることも大切にしたい
これは、とても小さなことにもつながっているような気がします。
例えば、食べ物。
「これ、嫌い」
と子どもが言ったとき、
「好き嫌いしないで食べなさい」
とすぐに否定するのではなく、
「これが嫌いなんだね」
と、まず受け取ってみる。
「どこが嫌なの?」
と聞いてみる。
味なのか。匂いなのか。食感なのか。
嫌いなものを嫌いと言えた。
他の子とは違う食の好みを認める。
それも、自分の感覚に気づき、それを相手に伝えたということです。
だから、小さな頃から、
「嫌」「悲しい」「怖い」「寂しい」
を言ってもいい。
そういう経験を重ねることが、いつか本当に苦しいことが起きたとき、
「助けて」
と言えることにもつながるのではないかと思っています。
……と言いながら、
「野菜をもう一口!」
「お味噌汁、あと一口だけ!」
と息子に言っている私ですが(笑)。
そこは、まだまだ母親として修行中です。
自分の感情に「気づく」「認める」
子どもの頃から、自分の感情を人に伝えられる人になってほしいと思っています。
さびしい。
くるしい。
かなしい。
こわい。
腹が立つ。
そして、
うれしい。
たのしい。
おもしろい。
まだまだ、たくさんの感情があります。
アンガーマネジメントでも、グリーフケアでも、私が大切にしていることがあります。
まず、
自分の今の感情に「気づく」こと。
そして、
その感情を「認める」こと。
「こんなことで怒ってはいけない」
ではなく、
「私は今、怒っているんだな」
「私は今、悲しいんだな」
それでいい。
感情そのものに、良い・悪いの優劣をつける必要はないと思っています。
「相談できる人になってね」だけでは足りない
だから私は、
「困ったら相談してね」
「何かあったら話してね」
と言うだけでは、足りないのだと思います。
相談できる関係を、何も起きていないときからつくっておくこと。
そしてもう一つ、
周りが気づこうとすること。
いつもと違うな。
ご飯を食べていないな。
眠れているかな。
学校の話をしなくなったな。
笑わなくなったな。
そんな小さな変化を、周りの大人が見ようとすることも必要です。
もし「学校に行きたくない」と言われたら、
すぐに答えを出すのではなく、
「そうなんだ。行きたくないんだね」
と、まず受け取ってみる。
そして、
「どうしたの?」
「どうしたい?」
「私にできることはある?」
と聞いてみる。
攻めるように問いただすのではなく、時間をかけてたずねる。
こんな時はきっとなかなか言葉が出ないと思います。
学校を休むこと=悪いこと、怒られること
と思っているから。
とにかく時間がかかってもいいから待ちましょう。
沈黙が続くと聞いているほうはイライラすることもあるでしょうが
とにかく心にゆとりをもって気持ちを言葉にしてもらいましょう。
話してもいい。話さなくてもいい場所を
私は、流産や死産を経験した女性たちが、心にも身体にも大きな負担を抱えていることを、多くの方に知っていただきたいと思い、「花はすお話会」の活動を続けています。
そして、一人ひとりと向き合う場所として、グリーフケアセッション「あまやどり」を始めました。
話してもいい。
話さなくてもいい。
弱いままでもいい。
少し羽を休めてもいい。
そんな場所です。
私自身、相談できなかった経験があるからこそ、
「相談してね」と言って待っているだけでは届かない人がいる
ことも忘れたくありません。
私は、自分でも分かっています。
おせっかいおばちゃんです(笑)。
「あの人には、これをしてあげたらいいんじゃない?」
と思うと、つい動いてしまいます。
そして、自分のことを後回しにする癖もあります。
でも、誰かの人生を代わりに生きることはできません。
私にできるのは、
話したくなったときに話せること。
必要なときに情報を渡せること。
そして、
「あなたはどうしたい?」
と聞けるくらいです。
AIだけで抱え込まないで
今は、誰にも言えないことをAIに話す人もいるでしょう。
私自身もAIを使っています。
自分の考えを整理したり、知らなかったことを調べる入口にしたり、文章を書く手伝いをしてもらったり。
とても便利なものです。
でも、
「消えたい」
「死にたい」
と思うほど苦しくなったときには、
AIだけに相談して、一人で完結しないでほしい。
AIにはできないことがあります。
あなたの表情を見ること。
声の小さな変化に気づくこと。
家へ駆けつけること。
隣に座ること。
手を握ること。
そして、現実の世界であなたの安全を守るために行動してくれること。
だから、命にかかわるほど苦しいときは、どうか現実の誰かにとつながってください。
家族でなくてもいい。
先生でなくてもいい。
友達でも、地域の大人でも、専門の相談員でもいいのです。
最後に紹介している無料の電話窓口の方でいいのです。
あなたの命を、誰かとの「つながり」の中へ
私は、自分の命は、自分一人だけのものではないように感じています。
父がいて、母がいて、その先にもたくさんの命がある。
長崎に落とされた原爆が、当初の目標だった北九州の小倉に投下されていたら、父の人生も、その後の私の人生も違っていたかもしれません。
いくつもの偶然が重なって、今の私がいます。
そして今は、息子がいます。
離婚して、子ども一人を育てています。
金銭的に余裕があるわけでもありません。
それでも、
屋根のある家がある。
ご飯を食べられる。
布団で眠ることができる。
夜、隣で息子が眠っている。
私は、そんな日常を幸せだと思っています。
明日の朝も息子が元気に起きて、お友達とたくさん遊んで、たくさん笑ってほしい。
その笑顔が、私の日々の活力にもなっています。
もし今、
「自分なんて誰の役にも立たない」
と思っている人がいるのなら。
いきなり大きなことをしなくてもいい。
近所の公園でウォーキングしてすれ違う人に「おはよう」と言うだけでもいい。
地域の高齢者の話し相手でもいい。
ゴミ拾いボランティアでもいい。
同じ経験をした人が集まるピアサポートの場でもいい。
そこへ行ったら、
「よく来たね」
「来てくれてありがとう」
と言ってくれる人がいるかもしれません。
あなたがそこにいることで、誰かが笑顔になれるかもしれません。
そして、その誰かの笑顔に、今度は自分が救われることだってあるかもしれません。
「相談してね」の、その先へ
自分も大切。
あなたも大切。
誰かを変えようとするのではなく、その人が今感じていることを、まず受け取る。
学校へ行けない日があってもいい。
弱い日があってもいい。
相談する勇気がすぐに出なくてもいい。
私はたくさん逃げてきました。
どうか、一人だけで人生の答えを出さないでください。
話すことで入ってくる情報があります。
話すことで初めて気づく、自分の気持ちがあります。
話すことで、少しだけ手から放せるものがあります。
そして周りにいる私たちも、
「相談してくれなかったから分からなかった」
だけで終わらせず、
気づこうとする人でありたい。
おせっかいおばちゃんでありたい。
物質的には豊かになった日本で、これからもっと必要なのは、
「弱い」と言えること。
「嫌だ」と言えること。
「助けて」と言えること。
そして、その言葉を受け止める人がいること。
なのかもしれません。
このブログを読んでくださった誰かが、
「ちょっと誰かに話してみようかな」
と思ってくださったら。
そして、誰かの小さな変化に、
「どうしたの?」
と声をかけてくださったら。
それだけでも、今回このブログを書いた意味があるなと思っています。
まもろうよこころ(厚生労働省)
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